幽霊ブログ

日々のメモ帳

6月が終わり7月

世界一周娘達がリシケシアウト

最終日は食べ歩きツアー

たらふく食べて胃がパンパン

昼はリシケシの調理長のお店でピザにバーガーなどを食べ。シェフの賄いもお裾分けしてもらったり。

シェフは世界一周娘達のバックパックを夜まで預かってくれた。しかも快諾。おまけに余ってる部屋も自由に使っていいよと。とても親切なおじさん。

でもインド人には手厳しい。観光客には特に。


そして、雨の中カフェ巡り。

天候は雨のち曇り。雨が降ると街のwifiが遅くなる。恐らく皆、仕事などの手を止めて雨雲が去るのを待つ間にスマホを使うからだろう。

天候のせいなのか今日は気分が冴えない。


そして夕暮れ時、夕陽に染まるガンガーを見下ろすカフェで最後の食事。

最後にみんなで写真を撮ろうとしていたら、隣のテーブルから流暢な日本語が、そのテーブルには絵に描いたような欧米人ツーリストの姿しかない。

余りに日本語が上手過ぎて変な間が空いた。


とまぁ そんなこんなで

シェフの店に預かって貰った荷物を取りに行く時間。

テクテクと歩き、彼女達にとっては最後の橋を渡り シェフの店へ。

優しいシェフは賄いをご馳走しようとしてくれたがみんな満腹…

でも折角の手打ちパスタなので、プレーンで少し頂くと相変わらず優しい味わい。

彼女らがお礼に何かをプレゼントしようとしようとしてもシェフは絶対に受け取らない。

彼のポリシーなのだろう。

そして、彼は言う。

多くのインド人はツーリストを金持ちだと思ってる。そして、ちょっと騙しても、ツーリストが実家に電話を掛けるだけで金をゲット出来ると思ってると、そいつらは 大きな見返りを求め 小さな親切をしてくると。

だから、シェフは絶対にお礼を受け取らない。日本がお礼に文化だと理解していても受け取らない。

昼間に沢山話をして、その時間が楽しかったからお礼なんか要らないんだよと。


リシケシの調理長は父であり母である。作る料理は母の味、そして頑固な良心は父のよう。


世界一周娘達とシェフとのやり取りを見ていると心がほっこり


そして、見送りにリキシャスタンドへ

そうしたら、凄い凄い。リキシャ運転手達がゾンビの様に 砂糖に群がる蟻の様に押しかけてくる。

久しぶりの光景だ…

さすがの彼女らも困惑気味、初めてみる表情だ。

不安そうだったのでリキシャに同乗しバス停まで行く事にした。

チャーターで160Rs

安いと思ったが、まあ妥当なとこだろう。ぎゅうぎゅう詰で10人乗れるから片道max100Rsと考えると妥当も妥当。

運転手さんは経験豊富。

荷物とパーティーを見て、状況を把握しているのだろう。

バス停に着くと、お前は上に戻るんだろ? と助手席をポンポンして スマイル。


世界一周娘達と握手してお別れ。

気楽に時を過ごせる人達だったなぁ

って事で、忘れた頃に何処かで会うでしょう。と言うのはSNS以前の思考。

SNS普及時代の旅先での出会いはどの様になるのか、ちょっと楽しみであり味気無い様な気もする。


20年前に旅した時に何度も出会った男がいた。バラナシで軽く出会い。ポカラで出会い。カトマンズでも出会い。そして途中で別れた友人と僕がカルカッタで出会い。2人でバンコクへ行き カオサン通りでバスから降りた瞬間に

その男が後ろから声を掛けてきた。

道中別行動していた友人も色々な所でその男に出会っていて3人意気投合してパンガン島に遊びに行った想い出がある。その時の出会いは今でも続いている。SNS時代では体験出来ないミラクルなのかもしれない。


っと長く長くなってしまった。


リキシャのおっちゃんはかなりのグッドカルマを溜め込んでいるらしい。

行く先行く先でお客さんが乗っては降り乗っては降り。

帰りもキチンと稼いでラムジュラーに到着。いつものごとく10Rs渡すと満面の笑み。

あんなに怪しく見えたおっちゃんはかなりのいい奴だった。インド人のお客さん達も何やら朗らかに笑って 降りていった。 人情の街 リシケシだなぁなんて勝手に思った1日だった。



翌日は微熱 悪寒 下痢 で丸一日ダウン

お茶だけ過ごす。ヒート素材の長袖を着てダウンシュラフを掛けて丁度いいくらいの寒気がきてた。何度かオナラで目覚めた…

胃の中から腸の中までお茶で洗浄されたのか翌日に復帰。

明日あたりから音楽教室巡りでもしてみようかな〜